
ご覧のように朝日新聞に「戦没者の数が過小評価されている可能性がある」という記事が、一面トップに出ていて、驚いたのと同時に、どうしてこんなことが起こったのかということを考えてしまう。
そもそも、一般民間人の死に対しては一切補償されることは無かった。軍人と一般民間人の違いはなんだったのかと、いつも考えさせられて来た。
「一億総玉砕」とか、「本土決戦」とか、沖縄などでの「自決」、広島・長崎での被爆者たち等々。国民全員で戦争はしていたのではなかったのだろうか。戦争によって死んだというのは、「戦闘によって死んだ」ということだけではないことは、明白なことだ。
それなのに、死者の数にも数えられないまま放置されていたのだとしたら、この国は未だに第二次大戦に対して、真摯に向き合っていなかったことになる。
負けた戦争だから、一日も早く無かったことにして、前へ進もうとしているのかも知れない。しかし、納得のできない死を迎えた者の魂は、この国の未来に常に暗雲を立ち込めて来たことだろうし、これからも呪いとなるだろう。
三大怨霊を神として祀る割には、一般民間人の絶望的な死や被害をないがしろにして、自分たちだけで幸せになれると考えるのは、あまりにも虫のいい話なのではないだろうか。
無念の死と苦しみを負った者たちの叫び声が聞こえるようで、怖ろしい。最近の自然災害を「地球温暖化」の責任にして、自分たちに関係ないと考えるのは、日本人的ではないと思う。
数にさえ入れてもらえなかった者66万人もの人々や、ないがしろにされた者たちの怨念がこの国に天変地異を起こしていると、改めて考える必要があると思う。



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