冬至の翌日

 昨日が冬至だったようで、今日は七時頃まで暗かったけれど、今日からまた日が長くなるのだなぁと感じてちょっと、ほっとする。
 子どもの頃に、夏至の日に、父が「今日から日が短くなるんだ」と言ったのを、母が「本当にこれからは短くなるね」と受けた。何を勘違いしたものか、私は日がどんどん短くなって、昼間が無くなるのだと思って、恐怖を感じたことがあった。「夜だけの世界」と思い込んでしまい、本当に悲しく、怖ろしく思った。
 日本男児たるもの「コワい」なんて口に出してはならないと思っていたので、その恐怖を飲み込んだ。単純なのは子どもの良いところかも知れない。翌日には、忘れてしまって夏を楽しんだが、秋分の日が来た時に、その恐怖が再び襲った。「今日は昼と夜の時間が同じだ」。夏至の日の話はまだ有効で生きていたのだと、思って恐ろしくなった。三か月も経って、繋がりのある話を聞いて、恐怖とは長く続くことを思い知った。
 秋分の日を過ぎると確かに、毎日のように日が短くなっていくのを感じるようになった。「いよいよ、世の中も昼間が無くなるんだ」。毎日、ふとしたことで、このことを思い出すようになり、一人恐怖を感じていた。そして、周りの人が誰もそんな様子を見せないことに、疑問を感じるようになった。
「みんな、日本人として、『コワい』とは言わないのだ」と思った。「立派だな」と理解して、自分も黙っていなければならないと思って、顔には出さないようにした。
 そして、冬至を迎えた。その日に福音を聞いた。「今日が一番昼が短く、夜が長い日だ。明日から、昼が長くなる。」と。
 すごく驚いたが、すごくうれしかった。「昼が一番短くても、このくらいなら、我慢できる。大丈夫だ。」と思った。
 冬至の翌日、確かに何となく朝が早くなり、夕方も遅くなったような気がした。本当にうれしかった。
 その後、小学校で天体の話を習い、太陽と地球の公転の話を聞き、冬至と夏至と春分の日と秋分の日のことを知り、自分が恐怖したのはなんだったのかと思った。
 冬至の翌日はうれしい日だ。日が長くなる。微妙だけど。
 この時期にクリスマスをお祝いできるのは、うれしい。この世が暗闇に見えても必ず明かりが灯るように思える。希望の光に思える。

【新改訳2017】イザヤ書
9:2 闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。

 この御言葉が好きです。この『大きな光』が、イエス・キリストです。
 皆様の心にこの光が輝きますように。

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