
子どもの頃、かぐや姫の話を知って、とても憧れるお姫様になった。何がどう素敵に思ったのかわからないけれど、自分の中にずうっと存在する「素敵な女性」の原型のようなものなのかも知れない。
たぶん中学の二年生頃、たぶん所謂「中二病」とも言う時代に岩波文庫の「竹取物語」の原文を買って来て、無理やり読んだような気がする。もしかしたら中三だったかも知れないけれど、「中二病」という言葉にあやかって、ここは中二としたい。
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに 使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」という冒頭の部分を必死で覚えた。
元々、竹細工が好きだったこともあって、自分をこの翁と重ね合わせていた。かぐや姫に求婚する男たちではなく、かぐや姫を育てたこの翁にこそ憧憬を感じた。
とにかく、名前がいい。「かぐや」なんて、どこから出て来たものなのだろうと思う。「かがやく」かららしいけれど、「かぐわしい」からとも思える。香具山というものもあるし。
そして、なんと言っても「月へかえる」というのだから、とてつもなく壮大な話だと思うけれど、これが古典なのかと、驚いてしまう。私の愛読書だったムー辺りでも、かぐや姫は「宇宙人」か「月人」か、なんて話もあったような。また、月に人を送るという話があるようだが、日本人の月へのあこがれは深い。月にはきっとかぐや姫がいる。ウサギやカニなどではない。
ETを難なく受け入れられたのは、かぐや姫のお陰かも知れない。
何とも、なんとも、神秘的で優雅で美しい話だと思う。これが、日本最古の物語と言われ、日本人で知らない人はいないだろうほどに伝えられていることに、驚異的な感動がある。
そして、そして、何よりも素晴らしいのは、この「古文」である。古文の響きというのか、美しい調べというのか、独特な印象というのか、とても素晴らしい。
「昔、むかし、竹細工職人のおじいさんがいました。山の中に入っては竹を取って、いろいろなものを作って使えるようにしていました。」的な現代訳にすると、どうも雰囲気が違って来る。
学生の頃に気にかかったことは、「さぬきの造」という部分だった。昔覚えた時は「さかきのみやつこ」だったが、いつからか「さぬきのみやつこ」になっていた。しかし、そのお陰で、太田先生から習った讃岐漆器は籃胎と言って、竹籠を使っていた。讃岐は昔から竹細工が盛んだったらしく、それを基にして漆器を作っていた。私も竹細工を習った。図らずも、「さぬきの造」になっていたのだと喜んだ。かぐや姫を「竹籠にいれた」というのは、竹取の翁だったからで、「かぐや」はもしかしたら、「かごや」だったのかもと、考えてしまう。



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