
2026.02.16の日経新聞の「私の履歴書」に大石芳野さんというカメラマンの方の記事が載っていた。この文章の後半に、「戦争中の日本人の加害について様々な意見があることを私は知っている。だが日本人もまた加害者であるというと『自虐』というわれる風潮を私は悲しく思う。」とある。
教会では、洗礼者ヨハネやイエス様が伝道をした時のように、来られた人に「悔い改めましょう」と伝える。イエス様を信じるということは、「自分が罪びとであることを認め、悔い改める」ところから始まる。というのは、イエス様は「罪びとのために十字架にかかった」からで、自分を罪びとと認められなければ、イエス様との関係はないことになってしまう。
「罪びと」というのも「犯罪者」という意味ではない。「自分を罪深い者」だと認めることだ。そうすることで、神様を必要な存在だと理解することになるからである。
戦後、多くの宣教師が日本に来て、多くの人がキリスト教を信じることができた。戦争に対しても「加害者」だと認めることのできた人々だったと思う。それを認めることのできない人も多くいた。「お国のために戦った。」「天皇陛下のために戦った。」「戦友や家族は正義のために死んだ。」等々。本気でそう思っていたと思う。そう思っていなかったら、人殺しなどできるものではないだろう。
それが、戦争に負けたことで、すべてがひっくり返った。
それでも、日本は正しかったと言い張る人もたくさんいたし、今もそう思っている人もいるだろう。ヒットラーユーゲントだった青年たちも今でも正しかったと主張している。そうした中から「ネオナチ」などが生まれてくる。日本でも同じようなことが起こっていた。
最後に、大石さんは、
「過去の日本人のやったことをはずかしいと私は思った。ナチスもひどかったが、私たちもやっていたじゃないか。心に虚無感があった。」
と、締めくくっている。
私たちも私たちの世代より後も、戦争をしていない。だからこそ、これに正面から向き合うことができるし、向き合わなければならない。
「悔い改め」も「反省」も「加害者であると認めること」も「自虐」ではない。「自虐」とは「罪を認められないで、お酒でもあおったり、薬をやって、体を壊すようなこと」であり、「非を認められないで、更に罪を犯すこと」だったり、「凶悪犯罪を犯しても、『自分は悪くない、自分は正しい』」と主張するイタい人のことだろう。
随分前に、中学生に勉強を教えていた。その中の子が万引きをして警察に捕まり、白状して、学校に報告が来て、散々叱られた後、最終親に引き取られて、最後に父親にこっぴどく叱られたと教えてくれた。
父曰く、「なぜシラを切り通さんかったんか!!!!!」と。「めちゃくちゃ恐ろしくて、もう二度としない。」と言っていた。イヤイヤ、お父さん、そうではないだろう。子どもの方が状況を正しく理解していた。「オレ悪いことばっかしてるから、いつか警察に捕まるっと、思ってた。もうせんわ。」、と。
新しい人生も、自分を変えることも、自分を正しく理解し、自分の「罪深さ」を悟ることから始まると思う。「自分は正しい」と思っている人は変える必要はないでしょうから。


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