
高松の中学校で一年(実質半年)教師をしていた時に、学年団の団長のS先生がこの『啐啄』の話をしてくださった。言葉としては知っていたが、詳しく説明をしてくださったを聞いたのは初めてだった。
学年集会で子どもたちに話したのか、職員会議で話してくださったのかよく覚えていないけれど、S先生がこの話をしてくださったというのは覚えている。
S先生は本当に優しく、柔和で、厳しくもあり、理想的な先生だった。
この『啐啄』は禅の言葉のようだったが、教育の機微を語るのには素晴らしい言葉だと思った。
教育というのは、誰にでもできそうにもあり、とても難しいものでもあり、その奥の深さは素晴らしいものだと思う。
私は香川大学の学部生だった時には、美術の実技ばかりをしていて、『美術教育』をほとんど習っていなかったように思う。広大の大学院に行って初めて『美術教育』というものを習ったと思った。
美術教育は「美術の教育ではなく、美術を通しての教育である」と最初に教えられて、とても驚いた。そして、これが「教育の根本」かも知れないと感じた。
現場の学校へ行って、S先生に『啐啄』の話を聞いた時には、教師が親鳥のように子どもの成長を促すために、子どもをよく見て働きかけなければならないことの重要性を再認識した。
美術などは特に子どもの才能を引き出すのに役立つ。子どもがやりたいと思っている時に働きかけなければ、その才能を伸ばすことができなくなるかも知れない。
フレーベルやペスタロッチやピアジェやルソーなど古典的な学者たちの子どもを見つめる目はとても優しい。
S先生は、そんな目を持っている先生だった。


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