キリスト教会の日曜学校に行くと、たぶん全員が聞くことになる話がこの「ダビデ王」の話だと思う。
羊飼いの子どもで、男の子8人兄弟の末っ子だった彼は、竪琴の名手で、王の悪霊を祓うためにそれを弾き、ゴリアテという無敵の巨人の敵兵士を倒し、王の娘と結婚し、王から妬まれ、殺されかけるが守られ、最後にはユダとイスラエルの王となった。その子のソロモンは不倫相手の女性の子であるが、王権を継ぎ、ゆるぎないものとした。
世界にも類を見ない、唯一無二のサクセスストーリーだろう。
この話を子どもの頃から、聞いて育った子が、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教等を含めて、世界人口の半数になると思う。みんな同じ「唯一の神」を信じている。
ダビデの出自は、普通の羊飼いで、普通の子どもだった。その普通の人間が王になるというストーリーは、子どもの心を励まし、夢をふくらませ、自分と世界を変える能力を与える。
そのストーリーの原動力は「聖霊様」である。聖霊は神格(=人格)を持つ神様で、「聖霊の油注ぎ」=「インスピレーション」で、全ての「創造」「才能」「力」「奇蹟」「知識」「知恵」等などを司る。
聖書の神は、単科大学ではなく総合大学のように、「全能の神」である。だから、教会には「安産」「縁結び」「金運」「出世」等などの看板はない。何でも、「求める」ことができるので。
ダビデには、音楽の才能、詩人としての才能、兵士としての才能、王女との結婚、やがて王へとなる「運」など、総てが与えられた。その上、不倫をし、その夫を卑劣な方法で殺して、その女性を妻としても、「心から悔い改める」ことで赦され、ソロモンという立派に後継者を得、召天するまで、人生全般に亘って祝福され続けた。
この神様を信じない理由があるのだろうか?
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