山上の垂訓③

【新改訳2017】マタイによる福音書
5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

 もう何度も書いたかも知れないけれど、二千年も前に、イエス様が言った言葉は優しい。現代の日本では、未だに「心」の問題は軽んじられている。まして、こんな「柔和」という言葉が大切な価値を持っているとは思えない。
 「地を受け継ぐ」ということは、「この世を支配できる」というほどの強権を意味しているというよりは、「子々孫々に至るまで…」というイメージを感じる。
 「頑張れ」「努力せよ」「人のものを奪ってでも」「人を騙してでも」「強くなれ」「弱音を吐くな」「弱気になるな」「気合を入れろ」等々、人を威嚇し、恐怖を与え、脅して初めて、ほしいものが手に入ると言わんばかりに追い立てられる。それが今の社会かも知れない。
 そのために、心を病み、人間関係に疲れ、引きこもったり、ハラスメントに走ったり…。自分も他人も傷つけ、傷つけられて生きていかなければならない。
 生きていくのがしんどくないですか? 
 四苦八苦して、苦しみ続けなければ生きていけない。息をするのも、苦しいような。そんな社会が、今の日本かも知れない。
 物価は高くて、主食のお米も高くて、保険料や年金を払うために、どんなにしんどくても働かなくてはならず、スマホがなければ仕事も手に入らず、追い立てられるように毎日毎日生活をしている。

 イエス様の言葉は優しい。そして、もしみんなが「柔和」だったら、その社会は穏やかで、安心して暮らしていける。
 争い合って、マウントを奪い合って、人よりも少しでも多くのものや金を手に入れようとし、抜け駆けし、陰口を言い、傷つけ合う社会はやがて滅び、いや滅んでほしいと思うようになり、「地を受け継ぐ」ことなどできない。

 「柔和」という人間性が、子々孫々に至るまで、平和な暮らしを与えてくれる。「柔和な者」になりたい。「柔和な社会」を作りたい。「柔和な日本」であってほしい。

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