今年最後の祈祷会

申命記の7:8に「【主】があなたがたを愛されたから」の御言葉があります。
神様が私たちを愛してくださっているというメッセージです。
でも、「なぜ愛されたか?」は記されていません。
私たちは、「なぜ愛されたのか」が気になります。そして、「自分はどうして愛されているのか」を知りたいし、自分で理由を付けます。
でも、たぶん、理由を付けた時に、愛は愛ではなくなるのだと思います。
それは、「善と悪の知識の木の実を食べた」結果なのでしょう。
「何かいいところがあるから」と思ってしまいます。
「いいところ」って、何なのでしょう?

「愛されている」ということを信じることは、幸せなことです。
私はきっと、おめでたい人なのかも知れません。

主に、この一年の祝福を心から感謝します。

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