キリストの誕生を…

ルカによる福音書
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

 昨晩のメッセージでお話しした聖書箇所の一部です。
 キリストの誕生後八日経って、エルサレムの神殿でシメオンに会う。「この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。」と聖書には説明がある。そんな人からとても厳しく辛い預言を伝えられる。

 キリストは「世の罪を取り除く神の子羊」と呼ばれる。これは、かわいいだけの子羊ではない。いけにえの子羊であり、私たちの身代わりとなって献げられ、殺される犠牲の子羊である。
 シメオンはマリアにそのことを告げる。生まれたばかりの赤ちゃんの過酷な運命をマリアがどこまで理解していたのかはわからない。この時点で「十字架にかけられる子」と理解していたとは思いたくない。しかし、イエスという名前は「ヨシュア」という名前の訛ったもので、「主は救い」という意味だ。人々を救うためのいけにえなのだと考えることもできたかも知れない。
 イエスの成長を見続けていたマリアにとって、成人し、やがて福音を伝えていくイエスの姿に段々とこのシメオンの言葉はリアリティーを増していったことと思われる。
 そして、十字架にかけられたイエスの姿をマリアは見上げる。

 私には、「Merry Christmas」の意味はよくわからない。「Happy Christmas」とは言わない。ただ、単に「楽しい」とか「うれしい」とか「ハッピー」なのではないのだと思う。
 クリスチャンはクリスマスに誕生したキリストが、やがて十字架につけられることを知っている。自分の身代わりとなり、自分の罪を背負ってくださることを知っている。このいたいけな赤ちゃんの死すべき運命を知っている。
 それでも、そうだから、私たちは祝わなければならない。死すべき「神の子羊」の誕生を喜ばなければならない。痛みと悲しみと苦しみを感じながら、自分のために殺される赤ちゃんの誕生を喜ばなければならない。 
 

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