キリスト教の神 戦いの神

 メッシ選手のゴールと祈りの姿のことを昨日も書きました。
 もし、「勝利」が「神(主)の御心」だとしたら、各国にクリスチャンがいるなら、どの国に勝利を、どのチームに勝利を与えようと考えるだろうか。
 それは、きっと「自分に対して」、「誠実であり」「忠実であり」「信仰深く」「自分を愛している」者のいる国やチームに、と考えるのではないだろうか。

 キリストはユダヤ人であり、イスラエルの国に生まれ、その地で宣教された。しかし、当時のイスラエルはイエス・キリストを受け入れず、信じず、これを十字架に架けて殺した。その事によって、神はユダヤを捨てて、祝福を異邦人に向けた。
 ローマは異邦人の国であったけれど、キリスト教を受け入れ、国教とすることでその祝福を自分たちのものにした。しかし、中世ヨーロッパの信仰は堕落し、権威主義に走り、主の御心からは離れてしまった。それを戒めるためであるかのように、イスラム教が台頭し、プロテスタントが生まれた。まるで、バビロンやアッシリアなどがイスラエルを戒めるために生まれて来たように。
 そのプロテスタントの盟主であるドイツはナチスを生み出し、人間性を否定するかのような暴虐で残酷なことをホロコーストとして行った。たぶん、当時もっとも革新的で強力な武器を備えていただろうに、完全な敗北を喫した。
 現在、神に喜ばれる信仰を持っているのは、どこの国の誰なのだろうか。カトリックかプロテスタントか正教会か、或いはイスラム教徒か、それとも異教徒なのか。

 神は「愛の神」である。そして、「正義の神」である。「神を愛し、人を愛せよ」と言われる神は、どの国に勝利を与えたいと思うのだろうか。
 神は戦いの中におられる。戦いの中で、その一人一人の信仰を見ておられる。
 

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