アーモンドの花は見張っている

エレミヤ書に以下の言葉がある。
1:11 【主】のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
1:12 すると【主】は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」

この言葉が好きで、教会の花壇にアーモンドの木を植えた。花はサクラによく似ていて、少し大きめだ。咲く時期は今で、ほぼサクラと同じ。
エレミヤは神様から召命を受け、預言者とされる。預言者は神の言葉を伝える役目を担うが、その責任は大変重い。もし、語った言葉が現実のものにならなかったら、「偽預言者」として、石打ちの刑にされる。世間の「預言者」とか「予言者」とか「占い師」とか「霊媒師」とか、気楽なものだと思う。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と自ら言っている。「〇〇占い」など当たらなくても全然責任は問われない。でも、主=神は「見張っている」。この言葉が、「アーモンド」という言葉と、ヘブライ語では掛け言葉になっている。
聖書は、「偽預言者」も「占い師」も「霊媒師」も全面否定している。する側もされる側もその裁きはとても厳しい。当たっても、決して幸せになることはない。
「アーモンドの花」、日本では「サクラの花」を見る度に、この言葉を思い起こさなければならないと、自ら戒めている。

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