わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。
【新改訳2017】イザヤ(45:4)
「名前」はとても大切なものだと思う。日本では苗字で呼ばれるこが普通だった。横田のアメリカ人の教会へ行って、自己紹介した後にいきなり、「Hiromasa」と呼ばれた時には、とても奇妙な気がした。神学校からの派遣先の教会では、「東神学生」と呼ばれていて名前で呼ばれることはなかった。
私は私の名前が好きではなかったので、とても違和感だけではなく、嫌悪感さえした。
アメリカ人は互いに名前で呼び合っているのは当たり前なので、とりあえず慣れるしかないと思った。そのうち、「Hiromasa」は「Hero」と呼ばれるようになって、とてもいい名前だと言ってくれた。
しかし、名前で呼ばれた時にとても奇妙な思いがした。それは、「東家」のものでも、「神学生」でもない「自分」に話しかけられていると感じた。家系や血筋も、肩書も役職も関係ない「自分」を感じた。と、同時に「素の自分」に不安を感じた。個である自分が他人からどう見えているのか、不安だった。それが、家族以外の人から「ヒーロー」と呼ばれながら、仲良くしてもらうことで、初めて「自分」というものに、自信を持てたように思った。
主なる神様は、血筋も肩書も才能も体形や体質も関係なく、私たちの一番深いところにある「個=己」の名を呼んで、「愛している」と言ってくださる。
女の子の方が、男の子よりも、名前で呼ばれることが多いように思う。その分、実際は男よりも「個=己」の確立がなされているように思う。
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