
テレビを見ていたら、情報番組の司会者の方が、「ローマ教皇のご冥福をお祈りします」と言ったように聞こえた。
いえいえ、教会では「ご冥福は祈らないでしょう」と、一人で突っ込みを入れていた。
「冥福」の「冥」は、「冥王星」でも出て来る「冥」で、「暗闇」を表す。だから、仏教の「冥界」は「暗闇の世界」で、「死者の行くところ」の意味だと思う。神道でいう「黄泉」=「地獄」のことだろう。つまり、「冥福を祈る」とは「『死者の国≒地獄』で、『祝福』でありますように」という意味になる。
ローマ教皇は既に「パラダイス」=「天国」にいる。祈る必要もないほど幸せである。
使徒で、素晴らしい伝道者だったパウロはピリピ人への手紙の中で以下のように言っている。
【新改訳2017】
1:21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
1:22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
1:23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
天国は、この世とは比べものにならないほど、素晴らしいところで、光り輝く栄光の場所である。
だから、言うとしたら、「先に行ってずるい」とか、「いいよね、教皇は、幸せいっぱいで」とか、「イエス様にあって、栄冠を受けているんでしょうね」とか、「先に召された人たちと楽しくやっているのじゃない」とか、「私も早く召されたい」とか色々。でもまだ地上でやるべきことがあるから仕方ない。
「冥界」に行っていないのに、「冥福」を祈るのは、お気持ちだけ頂きますが、意味ないでしょう。
元気いっぱいの人が遊園地に遊びに行ったと聞いて、「一日もお早いご回復をお祈りします」と言っている感じかな。
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