汝自身を知れ!

とんとん 友だち みんなで 九人 いっちゃん じろくん さぶちょん しげぼう ごろやん ろくんぼ ななちん やっちゃんこに きゅうどん 誰かが しかられた みんなで ごめんなさい

という歌詞だった。子どもの頃に大好きでよく歌ったいた。
 でも、この歌詞のようにはいつまでも続かない。子どもの頃、まだ自我が確立していない頃は、自分と他人に区別がつかない。しかし、成長していくにつれ、自他が分離して行く。「叱られる自分」「褒められる他人」は、同一ではない。
 そして、「自分とは何なんだろう」、「自分とは誰なんだろう」と考え、悩んでしまう。丁度、思春期頃に、この「自我の芽生え」のようなものが急速に進んで、自他の違いに目覚める。
 親は「可愛いね」「カッコいいね」「ハンサムだね」「美人だね」「頭がいい」「天才かも知れない」「末は博士か科学者か、大女優か、英雄か」なんて言ってくれる。
 それが、この頃から「自分はそうではない」ということに、自分自身も親も気が付き始める。所謂「普通」である。世の中は『正規分布』である。天才や秀才、イケメンや美人がいれば、その逆も存在する。そして、そのどちらでもない70%くらいは「普通」である。
 昔はよく、「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」と言われた。
 私は一度も「神童」とも「才子」とも呼ばれたことはなかった。生まれた時から只の人でもなかったようで、色々と悪口を言われた。
 だからこの「汝自身を知れ!」という言葉は、イヤというほど自分の惨めさを噛み締める言葉だった。
 一部の優秀な人たちを除いて、多くの人はこれを噛み締め、悩み、苦しまなければならない。中途半端な人は、それはそれで苦しむことになるようだ。「あと少しで手が届きそうに思う」と人は頑張ってしまうし、逃せば「嫉妬に狂うことにもなる」、憧れのその人ではない自分をどうすることもできない。
 鏡を見て、「自分はイケメンでも美人でもない」と気が付かなければならない現実。全国共通テストで、「日本中で最も勉強のできない自分」なのだとお墨付きをもらう現実。
 頑張ってダメなら、頑張らなかったことを理由にしたい。
 自分に言い訳をして、誤魔化して、何とか自分自身を確保しようとしなければならない。
 日本には「分をわきまえろ」や「身の程を知れ」や「立場をわきまえろ」や「分相応に振る舞え」などの、実に腹立たしい言葉がたくさんある。そして、これを「忖度せよ」と言われているように思う。
 少しでも「分を越え」ようものなら、どんなひどい目に遭わされることか。

 人生に挫折し、周りの人々から身を引き、まさに引き籠っていた時に、イエス様に出逢った。そして、主は言われた。「私はあなたを愛している」と。
 その時、初めて「自分が『愛されている自分』であることを知った」。
 

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