純和風?

 『純和風』って何だろうと思った。
 京都出身の人とお話をする機会があって、「京都って純和風だと思っていたのですが、何か違うような気がして…。」とお話をすると、あっさりと「違いますよ。」と言われた。「純和風って感じるのって、田舎の農村とか漁村のようなものじゃないですか?」的な話だった。
 確かに、私の中にある『純和風』とは、写真のようなイメージだと気が付いた。これって、よく言われる『日本の原風景』とかいうヤツだったような。
 そう考えると、京都は元々洛陽とかの中国の都を模して造ったと歴史の時間に習ったような気がした。
 そう考えると京都って、すごく『和漢折衷』とか『和唐折衷』とか『和宋折衷』とか『和洋折衷』とかの街なのだと思った。
 広島の片田舎の漁村のようなところで育ったから、京都には並々ならぬ憧れがあったが、京都に来てみると『純和風』と言えるものがわからなくなった。
 お寺に行って、仏像を見ても日本人には見えないし、神社の飾りなどは台湾の道教のお寺とそっくりだし。『純和風』って存在しないもののように感じた。
 秦の兵馬俑が埴輪になったとしたら、あの埴輪や北斎漫画のような「かわいい」が和風なのではないかと思う。そう考えると、「かわいい」がそのまま世界で通用しているのもわかる気がした。
 ラーメンなども中国生まれの日本育ちと言われるが、この「日本育ち」が和風なのだと思う。
 蒸気機関車や自動車もイギリス生まれの日本育ち、飛行機や録音機はアメリカ生まれの日本育ち、そういう意味では日本の『肥育』技術こそが、『和風』なのだと思う。
日本が「工業立国」であったり、「加工国」と呼ばれたのは、日本の最大の特徴そのものだったのだと思う。
 お米の「インディカ米」が「ジャポニカ米」になったのが、和風の正体のような気がした。

 

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